ファルスタッフ
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ファルスタッフ
ジュゼッペ・ヴェルディ作曲
全3幕のオペラ・コメディ
アッリーゴ・ボイトによる台本
シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』と歴史劇『ヘンリー四世』に基づく
あらすじ
以下に『ファルスタッフ』のあらすじを示す
第1幕
時は14世紀初頭のイングランド王ヘンリー4世治下。舞台は中部イングランドのウィンザー、ガーター亭の一室。
ファルスタッフは従者バルドルフォとピストーラ、酒場の主人らに囲まれている。ドクター・カイウスがやって来て、ファルスタッフの従者らが強盗をはたらいたと非難するが、気が立っているドクターはすぐに退出する。ファルスタッフは従者達に手紙を握らせ、フォード夫人とペイジ夫人に届けてくれるよう頼む。これらの手紙は立派な女性たちに対するファルスタッフの恋愛感情を意味しており、彼女らを誘惑することが目的であった(実際には彼は金目当てで夫人たちを誘惑しているのだが)。しかしバルドルフォとピストーラはそれを拒絶し、「名誉」にかけて彼の命令に従うわけにはいかないと主張する。ファルスタッフは代わりに近習に手紙を持たせ、従者たちに向かい合い('Che dunque l'onore? Una parola!' -- 「名誉なんてただの言葉だ」)、彼らを追い出す。
場面が変わる:フォードの庭園。アリーチェとメグは、それぞれのことが書かれたファルスタッフの手紙を受け取る。彼女らは手紙を交換し、クィックリー夫人と共に、この騎士を懲らしめることを決める。彼女ら3人はまた、娘ナンネッタをドクター・カイウスと結婚させようと計画しているフォードに対してもあまりいい感情を抱いていない。彼女らが決めたことは、実際には行われない。一方、フォードはバルドルフォとピストーラによって手紙のことを知らされる。彼ら3人は意趣返しを渇望する。短いフェントンとナンネッタの愛の二重唱が後に続く。女性たちは家に帰り、クィックリー夫人を通じた女中が、ファルスタッフを密会に誘う。男性たちも場面に到着し、バルドルフォとピストーラは変名を用いてフォードをファルスタッフに紹介するよう説き伏せられる。
第2幕
第1幕第1場と同じ部屋。バルドルフォとピストーラ(今はフォードに雇われている)が、過去の罪に対する許しを求める振りをしながら、主人の到着をクィックリー夫人に告げる。フォードはシニョール・フォンタナとして紹介され、太った騎士とフォード夫人との仲を取り持つためのお金を要求する。ファルスタッフは喜んで同意し、彼が部屋で素晴らしい衣装を身につけている間に、フォードは嫉妬で焼けるような思いをしている('È sogno o realtà?' -- 「これは夢か? まことか?」)。
場面が変わる:フォードの家の部屋。クィックリー夫人がファルスタッフの来訪を告げると、フォード夫人は大きな洗濯篭を用意する。ファルスタッフの女性を誘惑しようとする企ては、ペイジ夫人が到着したというクィックリー夫人の報告によってすぐに妨害され、ついたての後ろに隠れることを余儀なくされる。怒ったフォードがファルスタッフを捕らえるべく姿を現すと、ファルスタッフは今度は洗濯篭の中に隠れる。その間に、ついたての向こうではフェントンとナンネッタの恋愛の場面が展開し、そこにフォードら男性陣が帰ってくる。接吻の音を耳にした彼らはファルスタッフを捕らえたと思ったが、そこにいたのはフェントンだったので、彼はフォードに立ち去るように言われる。男性たちが再び捜索のために出て行くと、女性たちはファルスタッフが隠れたままの洗濯篭をどぶに放り込み、ファルスタッフは人々の嘲りに耐えなければならなくなる。
第3幕
宿屋の前。ファルスタッフは陰鬱な気持ちで、世の中の惨めな様子を呪う。しかしワインを飲むと、すぐ彼は気分が良くなる。太った騎士は再びクィックリー夫人が招いていることを、男性たちを通じて知る。最初は半信半疑だったファルスタッフが、黒い狩人の装束を着てハーンの樫の木(密会の場所)へ行くことを約束した後、彼はクィックリー夫人と共に家へ入り、男性たちは彼を懲らしめる計略を仕組む。ドクター・カイウスはナンネッタに腕前を見込まれ、彼女の変装について聞かされる。その計略はクィックリー夫人に聞かれていた。
場面が変わる:ウィンザー公園にあるハーンの樫の木。月明かりの真夜中。女性たちはフェントンを修道士に変装させ、彼がドクター・カイウスの計画を邪魔するよう準備する。ファルスタッフのフォード夫人との愛の場面は、魔女達がやってくるという知らせで妨げられ、エルフや妖精に扮した男たちがファルスタッフをすっかり打ちのめす。彼らの意趣返しが済むと、ドクター・カイウスは自分が妖精の女王の衣装を付けたナンネッタの代わりにバルドルフォを捕まえていたことに気づくが、一方でフェントンとナンネッタは、フォードの同意を得て結婚する。ファルスタッフは、自分がただの間抜けではないと気づいて喜び、「世の中全て冗談だ」(Tutto nel mondo è burla)と賛美する。
プログラムとキャスト
指揮: ミケーレ・マリオッティ
演出: タチヤナ・ギュルバカ
合唱指揮: チーロ・ヴィスコ
美術: ヘンリック・アール
衣装: ジルケ・ヴィルレット
照明: シュテファン・ボリガー
キャスト
ファルスタッフ: ルカ・サルシ
フォード: ジョルジュ・ペテアン
アリーチェ・フォード夫人: マリア・アグレスタ
メグ・ペイジ夫人: エカテリネ・ブアチーゼ*
クイックリー夫人: ヴィオレタ・ウルマーナ
ナンネッタ: マリナ・モンソ
フェントン: イージェ・シ
カイユス: カルロ・ボージ
バルドルフォ: パオロ・アントニェッティ
ピストーラ: ガブリエレ・サゴナ
Teatro dell’Opera di Romaの「Fabbrica」– Young Artist Program プロジェクトによる*
Teatro dell’Opera di Roma管弦楽団・合唱団
Teatro dell’Opera di Roma 新制作
本公演はRai Culturaにより収録され、Rai 3、RaiPlay、Radio 3で放送されます。
ローマ歌劇場
ローマ歌劇場(Teatro dell'Opera di Roma)は、イタリア・ローマにある歌劇場。1880年11月に開場したコスタンツィ劇場がその前身である。数度にわたる名称の変遷、改修工事を経て、現在は総席数約1,600の歌劇場である。ローマ・オペラ座とも訳される。
歴史
ローマ歌劇場の前身である「コンスタンツィ劇場」の名前はこの劇場を建てた施主、ドミニコ・コンスタンツィに由来します。彼は私財をもってこの劇場を計画し、設計をミラノの劇場建築家アキーレ・スフォンドリーニに委嘱しました。かつてはローマ皇帝ヘリオがバルスの邸宅があった用地に新劇場は18ヶ月で完成し、1880年11月27日、ロッシーニ「セミラーミデ」の上演で開場しました。
ドメニコ・コンスタンツィはこの歌劇場を自ら運営し、経済的困難はあったものの、数多くの世界初演を行うことができました。その代表が、1890年、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功でした。ドメニコの死後、その息子エンリコ・コンスタンツィが運営を引き継ぎ、1900年1月14日、プッチーニ「トスカ」の初演を挙行しました。
1907年にコンスタンツィ劇場は支配人ヴァルター・モッキ率いるSTINに買収され、1912年から1925年まではモッキの妻であるソプラノ歌手、エンマ・カレッリを支配人として興行が行われました。
その後、1926年11月にコンスタンツィ劇場はローマ市庁によって買収され、王室歌劇場と改称されました。建築家マルチェッロ・ピアチェインティーニの設計による部分改築が行われ、15ヶ月の休場の後、1928年2月27日、ボーイトの「ネローネ」によって再開場しました。
首都ローマの豪壮な都市計画を進行していたムッソリーニのファシスト政権はこの王室歌劇場も精力的に梃入れしました。大恐慌の影響でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場を離れイタリアに帰国した名歌手を集結させ、名指揮者トゥリオ・セラフィンを音楽監督に戴いて、同劇場はミラノ・スカラ座に比肩し得る黄金時代を築きました。
1937年からはローマ市内にある古代ローマ時代の公衆浴場遺跡、カラカラ浴場での野外公演も夏季シーズンに開催されるようになりました。
第二次世界大戦後、王制から共和政への政体変化に伴い、歌劇場はローマ歌劇場と再改称された。1958年にはローマ市庁によって更なる改修・近代化が行われました。
現在の総席数は約1,600。
ローマ歌劇場へのアクセス
住所:Piazza Beniamino Gigli, 7
地下鉄 Linea A 停車駅:REPUBBLICA TEATRO DELL'OPERA
バス
Via Nazionale - H, 40, 60, 64, 70, 71, 170, 116T
Via Depretis - 70, 71
Via Cavour - 16, 75, 84, 150 (festivo), 360, 590, 649, 714
Stazione Termini - 16, 38, 75, 86, 90, 217, 310, 360, 649, 714
TAXI
電話番号:- 06,3570